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シャミナード神父が考えていた共同体

「共同体」はシャミナード神父の考えを理解する鍵であり、基本です。

1フランス革命が終わるとシャミナード神父は1800年の秋にボルドーに戻りました。そしてすぐに若者を集め、福音の伝播に努めました。このことはシャミナード神父が追放の期間中にもフランスの教会の状態をよく把握し、教会再建方法について深い洞察を巡らせていたことを示します。シャミナード神父の心を占めていたのは「福音宣教」だけでした。
教会の刷新や再建を目指した歴史上の人物は、まず同志を集め修道会を創立しました。しかしシャミナード神父は「信徒の共同体」の設立に着目しました。福音によって活気づけられた共同体こそ、信仰を育み、実を結び、生きた模範で人々を引きつけることができると確信していたからです。こうした信徒による共同体が宗教的無関心と無知に傷つくフランスの教会に光明を与え、再建の道であると確信していたのです。

2 青年男女の集まりからスタートした共同体「コングレガシオン(聖母青年会)」は、やがて母親の会、父親の会へと発展し、あらゆる職業、教育も身分も異なる社会階層の人からなる共同体へと発展していきました。革命後のフランスの教会は組織と構造が非常に脆弱になっていたため、「コングレガシオン(聖母青年会)」は小教区の役割を果たしました。「コングレガシオン(聖母青年会)は教会のミニチュア、神の民のミニチュアである」とシャミナード神父は主張しました。小教区活動が軌道に乗った後も、「聖母会は教会の中に特別な存在理由を持っています。それは人々、特に若い人々に、小教区では経験し得ない体験、共同体としてキリストを体験する機会となるからです」と言いました。

3 コングレガシオン(聖母青年会)には次のような特徴がありました。
 ①平等性: フランス革命の標語「自由、平等、博愛」の精神を共同体に取り入れました。革命後も階級意識が残っていた当時にあって、この平等性は人々の注目を集めました。

 ②多様性: 上記2で言及した通り、誰でも自分の居場所を共同体の中に見出すことが出来ました。この多様性は、「その時、その場で、教会が必要とすることに取り組む」活動の多様性をも意味しました。
 
 ③信徒性:福音宣教にあたり、信徒が責任を取りリーダーとなる「信徒使徒職」の先駆けです。

 ④共同体性: 個人としてだけでなく団体として社会にキリストを証しする。「世に向かって聖人の集団を示す」ことがシャミナード神父の目標でした。

4シャミナード神父がコングレガシオン(聖母青年会)に期待したこと
 ①証しであること
共同体は「福音を文字通り生きることによって聖なる民の証しをすることができます」。これは1838年、シャミナード神父が教皇グレゴリオ16世に送った手紙の一節です。当時のフランスでは合理主義が横行し、福音を受け入れ、福音に従って生きることは不可能であり、意味がないと主張していました。この風潮に対し「そのようなことは断じてない。福音は今でも意味があり、完全に実践できる」とシャミナード神父は主張しました。
 この理念を実現すべく創立されたのが信徒によるコングレガシオン(聖母青年会)でした。彼らは共同体の証しによって福音の実践に励みました。
 
 ②魅力的であること
コングレガシオン(聖母青年会)のメンバーは「生き方そのものによって他者を惹き付けるものとなれます」。これは使徒言行録2章と4章に描かれている初代教会の生き方でした。「信者は皆一つになって、すべての物を共有にし、各々必要に応じて皆がそれを分け合った。ひたすら心を一つにして神殿に行き、喜びと真心をもって神を賛美していたので民衆全体から好意を寄せられた」と。ボルドーのコングレガシオン(聖母青年会)も同じような生き方を示すことによって人々の関心を惹きました。

 ③拡散的であること
「このような共同体は新たな共同体を生み出します。生命あるものの成長過程と同じように、魅力的な共同体は掛け算的に拡大し、社会を再キリスト教化するための格好な手段となり得る」とシャミナード神父は考えました。
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